2002年10月29日 12:53(現地時間)

エレベータを使い、黄鶴楼展望台へやってきました。ここからは
左手に武漢長江大橋が正面に武漢の市街の眺望が楽しめました。
さてと、今回の中国旅行もそろそろお終いです。
今夜は武漢の湯包の老舗の専門店でたらふく湯包を食べて、明日
の早朝に帰国の途につきます。
2002年10月29日 12:41(現地時間)

黄鶴楼。1985年に復元されたもので、中にはエレベータも
完備されています。
もともとは三国時代に呉の孫権が蜀の劉備との戦いに備えて建て
たものです。その後幾度も破壊と再建を繰り返してきたそうです。
2002年10月28日 11:14(現地時間)

ここには「曽侯乙墓(今から2400年位前の戦国時代の曾の国の
候の爵位の乙と言う人の墓)」から出土した品物が展示されて
います。とくに古代の楽器類が圧巻で、これは復元品なのですが、
実際に演奏する事ができるそうです。
2002年10月28日 13:22(現地時間)

孔明が風むきが変るように祈ったという拝風台。
2002年10月28日 11:50(現地時間)

呉の軍師周瑜、この像は7〜8メートルはあるでしょうか。
今まで見た三国志関係の像の中では最も巨大です。
2002年10月27日 14:14(現地時間)

赤壁にやってきました〜。親切にも川岸の壁面に「赤壁」と赤
い字で書いてありました。この文字は呉の軍師周瑜が書いたも
のと伝えられていますが、何か情緒がないような気がしますが、
何も書いていなかったらただの川岸になっちゃいますけどね。
2002年10月27日 12:24(現地時間)

蜀の桟道(切り立った崖に棚のように板をつないで作った道)
この道がないと、切り立った山を越えなくては蜀に入れなかっ
たそうです。蜀ってやはり攻めにくい場所だったのですね。
2002年10月27日 09:07(現地時間)

白帝城は劉備終焉の地という事で、城の中には死にゆく劉備が
孔明に遺児を託すという場面が人形によって再現されていました。
2002年10月26日 18:04(現地時間)

船からの眺め。よく掛け軸に書かれている水墨画のような
風景です。
2002年10月26日 17:38(現地時間)

いまから船にのって白帝城に向かいます。
雄大な揚子江クルーズ、船の名前は女王号、定員170名の
客船です。
2002年10月26日 08:50(現地時間)

当陽郊外にある、関羽のお墓「関陵」にやってまいりました。
普通なら武将の墓は陵にならないのですが、さすがに死後
神として祭られた関羽だけの事はあります。
2002年10月25日 13:46(現地時間)

長坂坡公園にやってきました。ここにも趙雲の石像が
あるのですが..............派手。
2002年10月25日 12:11(現地時間)

当陽中心部にある趙雲の像。
三国志では、ここ当陽の長坂坡で趙雲は劉備の子阿斗を
胸に抱え敵陣を駆け抜けるという大活躍をやってのけます。
2002年10月24日 15:16(現地時間)

城の中には三国志ゆかりの人物の像が展示されていました。
後列に張飛、関羽、趙雲の3武将、
前列に劉備玄徳と諸葛孔明の二人が並ぶという構成です。
2002年10月24日 14:26(現地時間)

中国の城は都市全体が城壁で覆われる構造になっています。
敵が攻めてきたら城門を閉ざし、住民ともども立てこもる
構造です。この城門を挟んで1800年も前に数々の戦が
行われたと思うと、感無量です。
2002年10月23日 10:45(現地時間)

とととはあの名高い荊州城までやってきました。
荊州は元々劉表という人が治めていたのですが、劉備が居候
していたり、曹操に奪われたり、孫権の物になった後に劉備に
貸与され、その後関羽が治めていたという三国志の中でも様々
な戦いの舞台になった場所です。
2002年10月22日 11:35(現地時間)

有名な諸葛孔明の出師表(すいしのひょう)
これは諸葛孔明が魏に出兵するにあたり、劉禅に対し奉った
上奏文です。昔から上奏文の名文と呼ばれているそうです。
2002年10月22日 10:11(現地時間)

劉備のお墓は漢昭烈陵と呼ばれています。
建物の中に劉備の像があったのですが、ちょっとイメージと
違っていました。ちなみに、この建物がお墓ではありません。
お墓は建物の外にあります。
2002年10月21日 13:14(現地時間)

今回は三国志関係の場所をめぐる旅をする事にしました。
そんなわけで最初に三国の一つ、劉備玄徳が治めた蜀の
首都だった成都にやってきました。
これは
のログです